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ごあいさつ

顧問先のご家族には幸せになってもらいたい

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 まだ20代の頃、岐阜県井深の正眼寺で1年弱修行しておりました。
雲水さんに交じって、大接心を6回経験させて頂きました。
その日の座禅が終わろうとする時、直日さんから伺ったお話しです。

一人の男が、地獄と天国に連れて行かれ、それぞれの食卓の様子を眺めることとなりました。

地獄の食卓では、大きな長テーブルが置かれ、向かい同士に亡者が座っている。
ガリガリに痩せ衰えてものすごい形相の人ばかりです。
そのテーブルにはこの世では見たことも無いようなご馳走が並べられ、この料理を自由に好きなだけ食べても良いとされている。
ただし、持つ箸の長さが1メートルもある。
そして、箸を持つ位置も決められており、短く持つことは出来ない。
その長い箸で折角の料理をつかんでも、自分の口に運ぶことが出来ないのだ。
地獄では他人の事はお構いなく、何とか、つかんだご馳走を自分の口に入れようと形相を変えて必死になるが、亡者はご馳走の山を目の前にしながら食べることが出来ず、飢餓地獄の苦しみを味わう。

天国の食卓でも、地獄と同じ大きな長テーブルが置かれ、向かい同士に亡者が座っている。
地獄の食卓と条件は全く同じで1メートルの箸とその持つ位置が決められている。
ただ、天国の食卓では、皆が一様に

「ワァ~美味しそう、どうぞお先に召し上がって下さい」
「いえいえあなたからどうぞ」

と言いながら、自分で取った料理を相手の口に運び、相手も自分の口に入れてくれる。
そのため箸の長さも全く苦にならない。
天国の食卓では全員が満たされ幸せである。
天国の食卓も地獄の食卓も全く同じ条件にも拘らず、本人次第で天国にも地獄にもなる。

こんなお話しでした。